-数千年を遡る黒曜石鉱山と縄文人に出会う旅-
長野県と山梨県にまたがる八ヶ岳の北麓には本州最大の黒曜石原産地遺跡があります。火山性ガラスである黒曜石は、日本列島の石器を代表する石材として利用されていました。中部高地で黒曜石が出土する遺跡は星糞峠、星ヶ塔 、星ヶ台など星の名がつく高原地帯で発見されています。足元でキラキラ光る黒曜石のかけらを、地元の人たちが空から降ってきた星のかけらと信じたことからこうした地名が生まれたと伝えられています。
<黒曜石とは>
黒曜石は、火山が生み出した天然ガラスです。日本列島には、北海道から九州まで100ヶ所以上の黒曜石原産地遺跡があるといわれています。なかでも、信州産の黒曜石は良質なものが多く、割れ口が鋭く加工しやすいため、矢じりやナイフをはじめとする多彩な石器づくりの材料として当時の人々に好まれ、広く利用されていました。
黒曜石原産地遺跡を訪れると、数千年の時が経った今でも、縄文人が黒曜石を掘り出していた痕跡を見ることができます。よりよい石材を得ようとする縄文人の苦労と熱い思いが伝わってきます。
掘り出された黒曜石は、ふもとのムラからムラへと運ばれていき、ムラを結ぶ道は「黒曜石の道」となりました。
かつて、八ヶ岳の山麓には、大量の黒曜石が集められた大きなムラが点々と存在していました。そこは良質な信州産の黒曜石を求めて遠くの地域から訪れる縄文人との出会いの場となり、東西文化の交流のネットワークが結ばれていたのです。
黒耀石の森
<縄文時代とは>
縄文時代は、日本列島で今から約16000年前から約3000年前まで続いたと言われています。縄文時代以前の旧石器時代は最終氷期と呼ばれる寒い時代でした。気候変動を経て、自然環境が変化し、温暖な環境になったのが縄文時代でした。
星くずの里たかやま黒曜石体験ミュージアム
黒曜石や山の幸に恵まれて繁栄した中部高地には、多くの縄文の遺跡があります。
遺跡には竪穴住居が立ち並び、ムラでの生活の中では土偶を用いた祈りが捧げられてきました。動物や人の顔のような文様からは神話的な世界観が感じられ、縄文人の心のうちがみえてくるようです。
中部高地には豊かな自然が変わらずに残されており、今もその自然とともに人びとが生活しています。縄文人が黒曜石を運んだ道をたどり、山麓にある縄文のムラの跡を訪ねることで、雄大な自然とともに生きた縄文人の息遣いを感じることができることでしょう。
尖石遺跡
<黒曜石の道>
現在のような運搬手段がなかった旧石器時代から弥生時代にかけて、数万年にわたって産地限定の黒曜石が大量に、しかも広域に流通していた事実は、この資源が日本最古のブランドとして人気が高かったことを物語っています。
和田峠
<人と文化の中継地点>
湿原は動物たちにとっても貴重な水場でした。また、縄文人たちにとっても格好の狩場として使用され、人と文化の中継地点となりました。
車山湿原
縄文時代には、芸術的で個性豊かな土器や土偶が多く見られています。中部高地から見つかる特有の文様やデザインには、この地の人々の神話的世界観に対する強い想いがこめられています。
国宝「土偶」(縄文のビーナス)